我満隆のスノースクートヒストリー「後編」|スノースクート業界の歴史的な出来事とその後
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こんにちは! Jykk SNOWSCOOTライダーのガマンタカシです。
今日は昨日の続き、ガマンタカシがスノースクートを始めたきっかけ+αの後編です。
前編はこちら
1997-98シーズンにジックライダーになってほんの数年後、スノースクート業界に歴史的な出来事がありました。
2000年頃ですかね、当時唯一のスノースクートメーカーだった仏のSUNN社がスノースクート事業から撤退することになったんですね。
そのタイミングでスノースクートの生みの親であるフランクさんは独立し、フランスでインセーントイズを立ち上げ、日本ではJYKK JAPANがJYKK SNOWSCOOTとして自社ブランドを興し、更なるハイクオリティーなスノースクートを創っていこう、ということになりました。
実はその時にフランクさんからライダーになってほしい旨のお話をいただいていました。
↑2012年の世界戦でフランクと
しかし僕はジャパンブランドになるJYKKの製品開発のお手伝いが直接できるという事に魅力を感じ、またそのための言葉の壁や物理的な問題、その他いろいろな状況、そして何よりもボスであるKENさんの熱意からJYKKのライダーとして引き続き活動していくことを決めました。
そのような経緯からライダーとして自分自身のライディングレベルを向上させていく事はもちろんですが、R&Dライダーという役割、製品づくりのお手伝いにもウェイトを置くようになりました。
↑2005年ごろの写真。アルミ/カーボンハイブリッドの試作Style-Cフレーム, 試作フロントフォークに初期のG-1ボード
ライダーがライダーのために。
いち早くアイディアを具現化してもらったアルミフロントフォークのテストや2004年の世界選手権では試作段階のアルミ/カーボンのハイブリッドフレーム(後に販売したStyle-Cフレーム)を使用しスラロームで3位入賞。
長年使用されているG-1ボードの設計や、今のStyle-Gのベースになるフレームを06,07年にテスト/リリースもしました。
↑2006年ごろ?に作った、後のStyle-Gのベースになったフレーム。大きく湾曲したトップチューブにより衝撃をいなしネジレとしなやかさのバランスが良い
ボードやフレーム関連のノウハウやフットストラップの硬さの選定、ブッシュテストとか細かく挙げていくともっと沢山あります。
↑ボードテストの1コマ
そんなこんなで2014年、ガマンタカシシグネイチャーモデルとして ”Style-G” モデルをリリースする事ができました。
ライダーとして頑張ってきて、その気持ちの中には ”いつかはみんなに認められてシグネイチャーモデルを” という思いがありました。
自分が乗る”製品版”が届いた時は箱を開けて中身を見たらグッときましたね。
夢が叶った。
ずっとスノースクートに乗り続けてきて良かった。
ずっと支えて来てくれた妻と家族、サポートし続けてくれているジックジャパン、ボスのKENさん、そしてスノースクートを楽しんでくれているライダーのみなさんには本当に感謝しています。
という訳で、次回はSTYLE-Gモデルについて色々書こうと思います。
ここまで、ざっくりですが僕がスノースクートを始めたきっかけ、ライダーになったきっかけ+αを書きました。
これだけ長く続けていてもまだまだ飽きないスノースクート。
今でも上達していく楽しみ、自分たちで遊びを作っていく面白さがあります。
ここ数年はスクールにもチカラを入れていて、少しでも多くの人にスノースクートの魅力が伝わるように活動しています。
“ライダーがライダーのために” をモットーにこれからも頑張りたいと思いますので、ジックスノースクート共々どうぞよろしくお願いします。